公開シンポジウム 
自閉症者の語る自閉症の世界


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ミニ講演(日本語訳)
by トレイシー・スレッシャー(Tracy Thresher)

『タイピング、コミュニケーション、知性』

トレイシー・スレッシャーです。1990年から、文字を打つことで自分の考えを周囲の人間に伝えてきました。私は、タイピングでコミュニケートするという方法を、アメリカで最初に紹介された人間のひとりでした。まず初めに、コミュニケーションの方法があるということ、そして自分の意見を人に伝えられるということに関する、私の意見を述べたいと思います。自分を表現できないということは、沈黙の世界に生きているようなものでした。好きや嫌いも言えませんでした。人は、私が精神遅滞だと、つまり言われたことが理解できないのだと考えました。それはとてもいら立たしいことで、私は怒りに満ち、引きこもりました。私にとって、世界の経験は違って見えるのです。多くの人達は、口で話せることを当たり前のことだととらえます─私は、口で話せないという現実を、とても深刻に受け止めています。その影響を、毎日生きています─誰かが私の頭の中を勝手に読もうとする度に、そのことの意味を突きつけられるのです。

私は、精神遅滞ではありません。大きいキーボードのコンピューターや、文字盤や、音声読み上げ機能のついたコミュニケーション機器のアルファベットを指でタイプして、コミュニケートします。私が口で話せないのは、自閉症があるからです。自閉症があるということは、私には、自分の体の動きをコントロールすることにまつわる困難がある、ということです。つまり、他の人たちが当たり前にするようなことが、私には難しいのです。私はこれまでに2つのことを学びました。まず1つは、体の動きが、人にとって何らかの意味をもつということです。そして2つ目は、人は私の動きを見て、あたかも私がそれらを望んでやっていると解釈してしまう、ということです。衝動をコントロールすることの困難、文字を強く叩きつけるようにタイプしてしまうこと、何かに固執するという問題、そしてわずらわしい反響言語。こういったものが、知性を表現する私の能力を妨げる障壁となっているのです。

今こうしてこの原稿を書きながら、コミュニケーション能力を見せたくても見せられずに、無駄に過ごした長い年月のことが思い出されて、不安が募り高まるのを感じています。その事を思い出すと、怒りがわいてくるのです! 世界は私の自閉症しか見てくれなかったのですから、沈黙の世界におぼれること以外に、私に何ができたでしょうか? 読むことも文字を打つこともできる私ですが、20代になるまで、その事を人に分からせることができませんでした。タイピングを始める前、世界は私の自閉症だけを見ていました。そしてどうでしょう! たいていの私は、自閉症的に振舞いました。自分を表現するための確かな方法が無い中、私は本当に、挑戦する度に失敗ばかりを味わいました─なんと悔しく歯がゆかったことか!

次に、自閉症・動き・スピーチ(口で話すこと)との闘いについて、打ちたいと思います。自閉症のせいで、私の口から出る言葉は頼りなく、本当に言いたいことは、外に出ることができずに頭の中でもがきます。不安感、衝動的な動き(乏しい衝動コントロール)、固執、筋緊張、固有感覚の欠乏など、私はこれらの問題に大きく悩まされています。そしてそれらは、私がなすこと全てに影響を及ぼすのです。

文字を打つことは、私が真に自分を表現できる唯一の方法で、口から発する言葉は容易に誤解されてしまいます。私は、自閉症者です。…体の動かし方ということに関しては、私は本当に人と大きく違います。そしてその違いが、私をばかみたく見せてしまうのです。…誰かに触れていてもらわないと、私のタイピングはあまりに速くなり、話し言葉の時と同じように、同じ事を何度も何度も打ち続けてしまいます。タイピングなら、他の方法では示せ得なかった自分の知性を、私は人に見せることができるのです。

1990年以前は、私と私の家族にとって、とても気が遠くなるような日々でした。家族は、私のことを思ってくれていましたが、でも、彼らの本当の息子を知りませんでした。私に何かを教えようとする人は、私が言われていることを理解していないと思い込み、私が精神遅滞だと考えた人もいました。ここで少し、私の内なる思考に、皆さんをご招待しましょう。時々、私はこんな風に思っています。私が本当に理解しているのだということを確信させるためには、言葉を話さなければならないと思いながら、でももちろん、私は言葉を言えませんから、ただ立ち尽くして、そして密かに願うのです。私に話しかけてくるその人が、私が社会的なやりとりと、関係と、会話をもちたいと願っていることに気づいてくれますように、と。

敬意をもって接してくれる、お気に入りのコミュニケーション・パートナーがいれば、私はそういった願いを満たすことができます。タイピングで私と有意義な会話を交わす人がいなければ、「理解力なし」「コミュニケーション欲求なし」「何か他のことをしたがっている」など、デタラメなレッテルをはられる危険に私はさらされるのです。タイピングができるようになる以前の私のコミュニケーションの試みは、いつも挫折と、目的を果たすための風変わりな行動と、そして無力感に終わりました。けれども今、こうしてタイピングができるようになり、かつては不可能だった、自己表現と他者とつながることが可能になりました。タイピングを通じてならば、私の中の言葉を表出し、考えたり感じたりしていることを、人に伝えることができます。私のタイピングを援助するためには、忍耐と理解とトレーニングが必要です。それがあれば、人々は本当の私を知ることができるのです。

私の家族は、私が大人になってからもずっと私に住む家を提供し、助けてくれました。けれども私は今から何年も前に、家を出ることを決意しました。家で窒息しそうな自分を感じていたからです。母も父も心から愛しています。でも、自由と自立が欲しかった。言葉で伝えられるようになった時、私は母に、家を出たいと伝えました。それは私の人生の中で、最も厳しく苦しい時間のひとつとなりました。でも、あの時あの決意をしていなかったら、今の私はなかったのですから、やはりあれは正しい決断だったと思っています。現在私は、2人の異なる「ホーム・プロバイダー」の家を行ったり来たりして暮らしています。今はこれがうまくいっていますが、でもいつかは自立して、プロバイダーがあきらめちゃうんじゃないかなどと心配せずに、暮らせるようになりたいです。今の生活環境に大体満足していますが、誰しもそうであるように、私もより良い生活を望んでいます。

私は、セルフ・アドボケイトです。自分の〈声〉を、人と共有したいと願う人々の存在に刺激を受け、元気をもらいます。アドボケイトとして働く私は、アメリカの国中、そして国外にも足を運び、アドボカシー・自閉症・動きにまつわる違い・コミュニケーションなどについて、人々に教えたりしています。毎日を生き、呼吸をして、人生の主導権の質ということについて考えています。また私は、全ての市民に対する教育とサービスという面で自分の国がこれからどうなっていくのか、ということにも熱意と情熱を寄せています。

ご清聴、ありがとうございました。


トレイシー・スレッシャー
アドボケイト/コンサルタント
Community Developmental Services
50 Granview Drive, Barre, VT 05641
rightsrus@wcmhs.org


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