公開シンポジウム 
自閉症者の語る自閉症の世界


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こんにちは。ダグ・ビクレンです。アメリカのシラキュース大学で教育学部の学部長を務めています。私は、学校におけるインクルージョンと、『能力存在の前提』という考え方を広めるために長年研究に取り組んできました。本日は、この後に登壇されるラリー・ビショネットさんとトレイシー・スレッシャーさんのワールド・ツアーについて話をする機会をいただきまして、ありがとうございます。

こないだの3月に、ラリーとトレイシーはスリランカのコロンボに旅しました。そして5月、彼らは今ここ、東京にいます。来月6月にはヘルシンキにも参ります。それぞれの旅先で、映画クルーが同行し、彼らの旅路の記録を撮影しています。これは後に長編のドキュメンタリー作品として発表されることになっています。

この映画作品に関わるに至った私自身の冒険の始まりは、数十年前にさかのぼります。まず最初は、同僚と私が、自閉症と言われる子どもたちに読み書きを教えることの効果について気づかされた、ということがありました。今でも憶えているのですが、30年以上前に出会ったその子どもは、口で話すことはできませんでしたが、文章を読むことができました。例えば彼の先生方が指示を紙に書いて彼に渡すのですが、それを読むと指示されたとおりのことを彼は遂行できたのです。

その後1970年代に入って、一人の小児科医が、彼女が知る自閉症児が「トーキング・タイプライター」に文字を打ち込んでコミュニケートできるようになったという話をしてくれました。さらにその後1986年、オーストラリアで行われた研究で、言葉を話せず反響言語しかもたない自閉症児たちがタイピングで会話的な文章を書けるようになったという話を耳にしたのです。そのオーストラリアでの取り組みを研究した後、1989年にアメリカでも「ファシリテイティッド・コミュニケーション(援助つきのコミュニケーション)」を紹介し始めました。

偶然にも、日本でも同じような取り組みが当時行われていました。最初に私がそのことを学んだのは、落合俊郎教授の論文や研究からでした。さらにその後、東田直樹さんが書かれた文章などからも学んでいます。



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当事者としての世界観に関する「自閉症」者自身の言葉を、今日ここで皆さんにご紹介するわけですが、それはそういった流れに導かれてのことなのです。これからお見せするスライドで引用する人達は、全員、今作っている映画の中に登場する人たちです。

本日の公開シンポジウムでも、メインは、東田直樹さん、トレイシー・スレッシャーさん、ラリー・ビショネットさんたちによる発表となっています。

彼らにお話いただく前に、まず少しこれらのお三方や、ラリーとトレイシーがツアーで出会った人たちが書いた文章の中から、いくつかご紹介したいと思います。その数々の言葉の中に、「自閉症」ということを理解し、「自閉症」と呼ばれる人たちの充実した社会参加を支援するための豊かなヒントが含まれています。


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スー・ルビンは、アカデミー賞にもノミネートされたドキュメンタリー映画『自閉症はひとつの世界(Autism Is A World)』で主演をつとめた人ですが、意図的な(つまり反射的でない)行動をすることの難しさについて、次のように語りました。

「挨拶が自然に出てきません。私が社会的に受け入れられるやり方で行動するためには、一定レベルの促しと集中が必要なのです。」彼女にとって必要な「促し」の具体例として、スーは次のような例を挙げています。『誰かが私の背中に手を置いて、相手に注意を向けるように合図を送り、さらに私が何かしらの反応を発するように言葉で促す』 。

このスー・ルビンの言葉から、自閉症というものが引き起こすものは、思考にまつわる問題ではなく、パフォーマンスの問題であるということが見えてきます。


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現在シラキュース大学の学生で、自閉症があり、タイピングでコミュニケートするジェイミー・バークも、同じくパフォーマンスという問題について語っています。アメリカでは、発達障害といわれる子どもや大人に、あたかもそれができるようになることが、基本的能力存在の証明であるかのように、靴ひもを結ぶことを何度も何度も教えます。ジェイミーは、そんな誤解に基づく儀式が彼に強要された時のことを、次のように書きました。

「子どもが靴ひもを結べないと、大人たちはあなたに手を焼きます。「できなくても大丈夫」「マジックテープを使いましょう」。そんな言葉もかけられるけれど、あなたの心は打ち負かされたように感じるのです。僕は無言で叫びました。「手じゃなくて口が動けるようにしてくれ! あなたたちぼんくらは、あなた方が僕の顔に突き付けた質問に対するこんなにも多くの答えを僕がもっていて、でもそれを伝えられずにもがいているのが見えないのですか? 生きるためにはたかだか布きれを固定させることよりも、口と脳を結び付けて言葉が出るようにすることの方がはるかに重要ではないのですか?」15歳の時に僕は靴ひもを結び、人々はあたかも僕が何かの闘いで巨大な賞でも勝ち取ったかのように喜びました。僕は頭の中で彼らを笑いました。どれだけその姿がばかげて見えていたかを、彼らが知っていたらね。大人たちは、それはそのような興奮に値するものだと思い込んでいました。お母さんもうれしそうだったし、お父さんも誇らしげでした。でもやっぱり僕の心は、靴ひもを結ぶことへのそんな興奮じみた反応はばかげたことだと思いました。 」



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「自立は両手を助けた」つまり、自立が、彼が両手でタイプする段階に進むことを可能にした、ということです。



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「自閉症」といわれる子どもたちと関わる人ならば、耳を手で覆ったり、扇風機・ドライヤー・掃除機などの音でいら立つ子どもを、少なくとも数人は見たことがあるのではないでしょうか。

アンティ・ラパラネンはフィンランドのヘルシンキ在住で、今回のワールド・ツアーで、トレイシーとラリーが会うひとりです。耳障りな音とのバトルについて、彼はこのように書きました。「小さい頃、とても過敏でした。誰もが大きな声で話したので、僕は人に近づきたくありませんでした。」

しかしそんな困難にも、アンティはすでにうまく適応できるようになっています。



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またアンティは、人の表情の意味を理解することに困難を覚えました。

アンティは次のように書いています。「誰かの表情を見ただけでは、その人が本当のことを言っているのか、それとも冗談を言っているのか分かりません。表情の言語を理解できるようになるために、多くの努力が必要でした。……苦痛は、悲しみよりも認識するのが容易です。」……「まずい時に眉毛をひそめる様子など、僕は他の人たちを観察し続けました。笑っているような目は、例えば声を出して笑うことは許されないような場面で、何か面白いことがあったことを意味します。」


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文字を打ってコミュニケートできるようになることは、大きな開放感をもたらします。それはまさに、鳥肌が立つほどの感動だったと、アンティは次のように言いました。

僕はうれしかった。あなた(アンティのスピーチ・セラピスト)が僕の外見を全体的真実としてとらなかったことが、とてもうれしかった。……自分の体の中に熱意を感じられることが、とてもうれしいです。……僕の表現する能力を解き放つことができて、幸せです。

しかし、スー・ルビンと口を揃えるように、何かを開始することについてアンティは次のようにも言いました。「時々、行動を始めることが難しいのです。僕にとって、何かの動きを始めようとすることは、真っ暗な瞬間で、……不十分な意図の合計のようなものなのです。」



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多くの人が、私にこんなことを聞いてきます。「自閉症の人には、文字よりも絵を使ってコミュニケートした方が簡単なんじゃないんですか?」と。この提案の問題は、絵が必ずしも1000の言葉に匹敵するとは限らない、ということなのです。

文字があれば、周りの人間が予想だにしないことをアンティは言うことができます。アンティは次のように言いました。「学校では、毎日の予定が絵で示されます。信用性と妥当性という意味で、絵に勝るものはないでしょう。でも絵は、物事の多様さをあまりうまく反映することができません。絵で自分の言いたい事を伝えようとしたこともありますが、やはり書くことに勝るものはありませんでした。」

現在アンティは、日常生活の中で絵と文字の両方を使います。



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とある良く知られた自閉症理論によって、自閉症者は他者が自分と異なる視点をもつことを理解できない、と言われています。スリランカ在住のチャミ・ラジャパティラナは、自分の家の池で魚を食べる鳥について語った時、その仮説をくつがえしました。

「今ちょうど僕の家の庭は、画家の夢のような世界だ。ブーゲンビリアがその華麗な花を見せびらかすかのように、フェンスの上を彩っている。サンバードたちは、池の上を覆うように立っている木に咲く小さな紫の花にくちばしをうずめ、緑の宝石のような鳥達の体が太陽に照らされている。池で泳ぐ金魚たちが、勇敢なコウノトリにゆっくりと捕まえられている。一体どのようにしてこの鳥は僕達の池を見つけたのか。父は殺そうとするが、母の“不殺生”主義がそれを許さない。僕も父に賛成だと言いたい。うちの池では、釣りは禁止だ。」

チャミは「自閉症」者であるかもしれませんが、他の誰よりも、他者の感情や視点に敏感な人なのです。


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ここで再び、感覚過敏という話に触れたいと思うのですが、ある特定の触感や音や動きに対して過敏であるために引き起こされる困難について、私たちはよく耳にします。

アンティの友人のヘナ・ローラネンも、私たちがフィンランドで訪れるひとりなのですが、彼女は次のように書いています。「小さい頃、私はどのような類のものであっても、触れられることに耐えられませんでした。でも今は、誰かと抱き合ったり、近くにいたりすると、安心するし落ち着きます。」「子どもの頃幼稚園に通っていたのですが、当時の私はとても扱いにくい子どもで、私担当の介助者がつけられるほどでした。周りの世界が混沌としていたことを、憶えています。私の中には怒りが充満し、様々な音が耳から入り、体に触れられるだけで痛みを感じました。そんな私にとって唯一安心できる場所は、自分の世界だったのです。」

しかし、それからヘナは成長し、変わりました。もはや彼女は、音や触れられることに対する問題を感じていません。現在ヘナは、世界の一部として、世界の中に存在することに幸せを感じているのです。


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「コミュニケーションもできなかった人たちが、一体どうやって読めるようになったのか?」おそらくこの辺で、皆さんの中にこんな問いが浮かんでいるのではないでしょうか。

ヘナはこのように説明しています。「教師が私以外の子どもたちに読みを教えていた授業中、私も授業に集中していました。他の子どもたちと同じように単語を処理することを学ぶために、先生の話を注意深く聞きました。私は、単語を詳細に研究しました。今は、言葉は自然と私の頭の中にそれぞれの居場所を見つけておさまっていきます。……スウェーデン語は、祖母が話すのを聞いて覚えました。英語は、宿題に取り組むトニ[ヘナのお兄さん]を質問攻めにしている母の話から学びました。それから、学校に行き出して自分の教科書をもらう前は、トニの英語の教科書を読んだりもしていました。また、母が私の聴覚統合セラピーに使ったテープの中にドイツ語の歌が入っていたので、それを聞いてドイツ語の単語を覚えました。」


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タイピングや、手話や、絵やシンボルなど、何かひとつの方法を表現の手段として用いる時、そのこと自体は、同時に他の手段を用いる可能性を断ち切りません。本日この後に登壇するトレイシーも、タイピングだけでなく口で話すことにも取り組んでいる様子を、皆さんにお見せすることでしょう。

ヘナも同じで、彼女は自分が書いた文章をすべて声に出して読み上げることができます。彼女はこう書きました。「私は文章を声に出して読むことができます。発音は難しいですが、練習しています。……声に出して言えるようになりたいのです。上手に話せるようになりたいけど、自分の口の動きをコントロールすることが難しいので、口から言葉を出すことは難しいです。家でも学校でも、一生懸命練習をしています。」

この後に登壇される3人のパネルたちも、彼らの成功の鍵は「練習、練習、とにかく練習」だったことを、語ってくれると思います。


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とはいえ、口から出る言葉なら何でも歓迎、というわけではありません。直樹、ラリー、その他の多くの「自閉症」当事者たちが、自分が意図しないのに口から出てしまう言葉の問題と向き合っています。これは「機械的な発話」とも呼べるかもしれません。時に「反響言語」、つまり以前聞いた言葉を繰り返すというものですが、そのように呼ばれたりもします。

直樹が次のように書いています。「無理に止めようとしても止まらなくて、言いたいことはちっとも言えない。僕の場合は、どうやれば話ができるのかどころか、変な声を止められない。頑張っていないのではなくて、自分の意思とは関係なく、言葉が出てしまうのだ。それが辛くて、僕は、自分が嫌になる。悲しくて、恥ずかしい。」


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言葉の意味を解読することに伴う難しさもあるかもしれません。例えば直樹は、言葉の意味をとらえるために、まず頭の中に言葉の意味をイメージとして思い浮かべるということについて語っています。

『「自」らに「閉」じこもらない自閉症者たち』という本を私が書いた時にも、インタビューで同様のプロセスを語ってくれた、多くの「自閉症」当事者たちのことを書きました。あるいは皆さんも、テンプル・グランディンという「自閉症」当事者が、『自閉症の才能開発』という本の中で、同じようなことを書いているのを読まれたことがあるかもしれませんね。


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自閉症の公的定義に含まれるもう1つの残酷な皮肉は、「自閉症」と名づけられた人が、他者から孤立し、他者に無関心であるという想定です。「自閉症」という名前自体にそういう意味が込められていますね−−つまり自分だけの孤島に閉じこもる人間である、と。しかし実際は、これほどまでに真実からかけ離れた話はありません。

直樹が次のように書いています。「どんなに勝手気ままに見えても、わがままに見えても、僕たちはいつも人目を気にしている。本当は、鳥のように大空を羽ばたきたいのに、蓑虫のままずっと木の枝にぶら下がっている。」



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他者が考えていることや感じていることを知る唯一の方法は、他者自身に説明してもらうことです。例えば直樹は、テレビアニメの歌や童謡が好きなのは、彼が子どもじみた思考の持ち主だからではなく、むしろそれは、そういう歌の歌詞に勇気づけられ、また覚えやすいからなのだと、次のように説明してくれました。

「綿菓子のようにふわふわしていて、チョコレートのように甘い、そんな歌が僕は好きだ。それはどういう歌かといわれると、アニメソングや童謡になる。一般の人は、幼児が歌う歌だと思っているかも知れないが、それは違うと思う。僕は、自分を励ましてくれるように思いが伝わってくる歌詞が好きだ。単純明快な歌詞で、繰り返しのメロディーも覚えやすい。きっと僕は、おじいちゃんになっても、アニメソングや童謡を歌っていると思う。」


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自閉症のもうひとつの特徴的な困難は、変化、特に突然の変化に対応することのようです。直樹は次のように書きました。

「朝、…いつも見ているテレビ番組…が、…見られなかった。僕はその時、母の話を聞いて理由がわかったのに、パニックになった。自分の両手で自分の頭を叩いて、泣きわめいた。お父さんに怒られても、僕は謝ることができず、ただ『お父さん、悲しい』と言う文章を繰り返し叫んだ。僕のしたことが、理解できないとみんなが困っているのがわかる。わかるけれどもどうしようもない。僕は、突然の変更が我慢できない。このことをどう表現すればいいのだろう。見たい番組が見られなくて、悔しいとか悲しいのではない。その不快感は、恐怖そのものなのだ。だから僕は、その恐怖を振り払うために、なりふり構わず暴れる。そんなときは『ごめんね」の言葉も出ない。その言葉を忘れてしまうのだ。自分が何をすればいいのか、どんな言葉を言えばいいのかなど、全く思い浮かばず、ただ、自分が言えるフレーズを繰り返しては、この恐怖の時間が終わるのを待つ。
少しずつ、パニックの時間は短くなっている。それは、何度も繰り返すことで、次にやり直しができることが、ようやく僕にもわかってきたからだと思う。理屈では、ずっと前から知っていることも、僕の脳が覚えるまで、かなり時間がかかることがある。気持ちと感情は、僕にとっては別のもので、感情に振り回されながら、僕は毎日を生きている。」


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「自閉症」と言われるものがいかに複雑であるか、そしてまた自閉症にまつわる希望について、少し垣間見ていただけたと思います。

私の希望は、本日のシンポジウムを通じて、『能力存在の前提』という構えの重要性を、皆さんに実感していただけるということです。

これについてトレイシーは、次のように書きました「真実を告げる使者、トレイシーはこう思います。人々が僕達の事を、『存在価値』という居場所をもてる、知的で完全なひとりの人間として見ることができるように、僕たちは世界をねり歩かなくてはならないのです。」


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変化に対応することに難しい人たちが、ワールド・ツアーに出る。それがどのようなものか、想像してみてください。

ラリーは次のように書きました。「最近本当によく考えるんだ。僕が行く国はどんな所だろうって。例えば、建物や通りなどの物理的要素とかね。道に迷った人のようにその国の住人たちの目に映りながら道を歩く時、僕は永遠の方向感覚喪失の道も歩むのだろうか? それとも、知覚的均衡を保ちながら、うまく適応できるだろうか? 意欲を盛り上げるために、心理的に興味深い旅行番組を観ないといけないかもしれない。」


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「僕達のような人間は」と、ラリーはさらに続けました。「遠いバーモント州の州境を越えて、すべての人間のコミュニケーションの権利が認められる世界へと向かう、進歩の種をまくのです。」


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私たちがこのワールド・ツアーに望んでいることは、次のような要素を含む、今と違う世界を人々が想像できるようになるために、その土台を作ることなのです。

すべての人間に対して、能力の存在が前提とされること。

自閉症に関する当事者自身の語りが、自閉症ということを考える上で重要な資源とみなされること。

すべての子どもたちに、豊かで、インクルーシブな教育へのアクセスが保障されること。

様々な違い、特に自閉症のような神経学的多様性について社会が学び、共に生きようとすること。

そして「自閉症」と呼ばれる人々が、大きな自己決定力をもち、アドボカシー、アート、執筆活動など、自分が選ぶ道を進めるようになること。

私は、そんな希望の世界を思い描いています。そしてこのワールド・ツアーは、まさしくそんな世界が可能であることを、示してくれるのです。

私の話は以上です。それでは、お三方のお話をお楽しみ下さい。ご清聴ありがとうございました。



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